あがり症を院内カウンセリングで解決できなかった

あがり症を院内カウンセリングで解決できなかった

バイト先での失敗をカウンセラーに話をした。

大丈夫ですよ!

それを繰り返して行けば、だんだんとあがらなくなります。

と言われた。

少しの行動をお越し、その起こした行動によって起きたことを冷静に見つめて、自分が今まで誤解している認識を実際の認識へと変えてゆくことで、確実にあがり症は改善していくというのが、そのカウンセラーのロジックでした。

 

見出し12回でやめた理由

カウンセリングを12回でやめた理由
カウンセリングは全部で10回受けてやめた。

僕があがってしまったという報告に対して、その認識を変えましょうと言うだけで、認識が変わらなかったことに対するアドバイスがなにもなかった。

これでは、何年やっても変わらないと判断したのだ。

36,000万円ものお金を払ったけど、何も収穫はなかった。

やるせない気持だった。

結構なお金を払ってなにも成果が出せなかったという自分に腹がたった。

なにをやっているんだろう。

5回目のカウンセリングでもう、これは何も結果が出ないというのは、分かったんだけど、もしかしたらもっとやれば結果が出るかもしれないという希望にすがり12回も受けてしまった。

やってみたけど認識は変わらなかった→続ければ変わります→やってみたけど認識は変わらなかった→続ければ変わります

という停滞のループが回っているということが、5回目でわかったのだ。

後に学ぶコーチングではこの状態を「スタック(空転)している」と呼び、コーチはスタックしたらすばやくアプローチを大胆へ変えて、方向転換をするというのは、基本中の基本なのです。

スタック

しかし、心療内科のカウンセラーにはそのようなスキルなないのでしょう。

僕は当時カウンセリングとは、もっと心の深いところまで入っていって、そこにある問題を変えていくようなことをすると思っていたのだけれど、全然そんな要素はなかった。

ただ、ひたすら、あがった時の自分の認識を理解し、その認識を変えましょうというスタンスだった。

その認識を変えることができないから、困っているのだけど、、、、

僕はもう自暴自棄になっていた。

今すぐにあがり症でやばい場面はなかったので、いったん諦めた。

しょうがない。

これ以上方法がなかった。

この行動の認識を変える方法の欠点は、もっと後になって学んだ>>>このプログラム<<<で乗り越えるメカニズムは自分の頭の中で整理ができたんだけど、当時はまだこのような情報がなかった時代です。

その頃から、もっと慎重にその手段を選ぼうと思った。

今のようにネットでたくさんの情報が手に入る時代ではなく、まだ情報が少なかったので、仕方がないとは思う。

なんでこんな問題を持ってしまったんだろう、、、、

あがらない人たちが本当にうらやましかった。

 

見出し自分が知りたいことは?

自分が知りたいことは?
結果は出なかったけど、今になって分かるのは、自分が次に知りたいことがその体験から分かったということ。

人間普段は自動的かつ無意識に、決まった思考うまれ、それが生まれる前提のパターンを持っています。

そのパターンに沿って常に決まった思考パターンを繰り返すというのが、人間心理です。

この前提になる考え方とそれによって発生する思考そのものを変えることで、あがり症は改善する。

これはあがり症ではなく、人生のあらゆる問題に共通する概念であると思います。

この一番前提になる、考え方を変えるにはどうすればよいのか?を自分は知りたいし、知る必要があるということに、おぼろげながらですが当時知ったのです。

もっとも、当時はこのようにちゃんと説明できるような知識も認識もありませんでしたが、、、、、

これをもっと具体的に言うと、

「人前で話している人をみて、多くの人はその話し手の言動、しぐさ、話の展開、意味、話し方、話のテンポ、心理状態などを、観察してシビアな評価を下している」

というような、誤った前提・考え方を持っていたのです。

この前提・考え方はほとんどの人には当てはまりません。

劇団のオーディションをする審査員は、このような視点で審査しているかもしれませんし、普段からそのようなシビア見方をする人もまれにいるかも知れません。

しかし、ほとんどの人はそこまで見ていないし、中には心理状態なんて全く無頓着な人もいますし、いろいろでしょう。

しかし、僕は全ての人がシビアな評価する人であるという、極めて偏狭的な考え方を持っていたし、そのことは分かってもいました。

この自分の偏狭的な考え方を持っているということを、より強く認識しそれを変える方法が知りたいということが、今までよりも明確になったということが、今回のカウンセリングを受けたことによる、成功だと言えます。

しかし、当時の僕はそんな考えにまで及んではいませんでした。

意識の上では、望んだ結果が出なかったことへの深い失望と、将来への絶望でした。

このまま大学生活が終わって、社会人になることを考えると、絶望しか見えませんでした。

企業に入ったら、完全に逃げ場はなくなるでしょう。

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