倉庫の積荷作業のバイトをしながら、僕は経理のバイト先を探していた。
なぜかというと、学部が商学部で、財務・会計などの勉強はしていたので、少しは得意であるということと、人前で話す機会がなくてすむ仕事は経理だと思ったからだ。
そして、バイトでもいいでの企業の業務に携わる仕事をしたがったのです。
経理のバイトを始める
倉庫の積荷作業のような、完全なる単純作業では、なにも身につかないし、その状態のまま年を重ねることは良くないと思っていたのです。
正直あまり好きな仕事ではなかったが、今思いつく最善の選択肢である気がしていました。
何社か狙いを定め、面接を受けに行ったら、一社目で採用が決まりました。
面接といっても、バイトなので、経理部署のマネージャーらしき人と普通の会議室で1時間の面談をするだけだった。
薬を頓服していたのと、相手は一人だけだったので、あがることはなかった。
小規模のシステム開発系の会社だった。
倉庫のバイトはやめて、1週間後からそこで働き始めた。
大学で勉強したといっても、実際の仕事とは全く違っていた。
企業の経理と財務の実務を経験できるいい機会でした。
だた、バイトなので伝票の入力業務が多くて、全体を見える仕事はさせてもらえなかった。
僕の期待通り、人前で話すことは全くなかった。
あとは、飲み会みたいなものに付き合わなければ
カラオケもない。
自分が積極的にならなければ、付き合いもなかった。
歓迎会もなかった。
そこでは、13カ月の間フルタイムで働いた。
バイトではあるが、だんだんと信頼されるようになり、仕事の範囲を増やされ、複雑な処理もさせてもらうようになってきた矢先だった。
大きい新規プロジェクトが立ち上がり、それが軌道に乗ってきたので、人が少なくて済むようになったのだろう。
経理の担当者の人から、会議室に呼ばれて、「来月一杯で来てもらわなくても良くなったので、、、申し訳ないけど、、、」
「プロジェクトが安定しだしたので、もう入力する件数が減ってしまって、人が余っているんだ」
とい言われた。
仕方がなかった。
一緒に働いていた、バイトの人たちの7割くらいが同じタイミングでやめされられた。
バイト先を変えた
僕は即気持を切り替えて、即別のバイト先を探した。
同じ経理のバイトを探したら、即決まった。
今度は、神保町にある中堅の精密機械メーカーだった。
今度は、最初から、バイト以上の仕事をさせてもらった。
なんとなくではあるが、真面目にやれば何年後かには正社員になれるかもしれないという期待があった。
しかし、バイトだから、いろいろな場面を避けられるが、正社員となるとそうはいかなくなる。
そんな気持のまま、僕は過ごしていた。
その頃読んでよかった本。
「他人がこわい―あがり症・内気・社会恐怖の心理学」
があった。
これは名著である。
大抵の人が全く気にしないようなことを、過剰に意識しすぎたり、ネガティブな捉え方をしてしまう。
また、出来事をなんでもかんでも自分の責任だと捉えてしまう。
社会不安の多数の症例を出して。そこからそれが起きるメカニズムを詳細に解説してくれた本でした。
これで、あがり症が解決するというわけにはいきませんが、ベース知識として読んでおきたい本です。
日本のあがり症関連の本の多くは、小手先のテクニックを羅列してものがほとんどなのですが、この本は、社会性不安障害とはどんなものなのか?を体系化して、その位置づけを明示しなにがその要素を立体的に捉えられるようになっています。