あがり症という言葉は知りませんでしたが、小学生のこらからこの問題は既に生じていました。
しかし、中学生になった時点と比べてその問題は潜伏していました。
どうにか、こうにかごまかすことができていたのだと思います。
あがり症の状態で演劇に出る羽目に
そういえば、小学校4年のときの学芸会で、学校で演劇をすることになり、テーマは西遊記で、運悪くセリフのある役を与えられてしまいました。
そのときは、配役を色々と決めていたとき、先生の口から発せられた言葉は「Uくんが“三蔵法師”やったら?」というものでした。
その時断ることもできない雰囲気だったので、僕は無言でいました。
そうすると、周りのクラスメイトは、もう三蔵法師はおまえで決まりだ!という雰囲気が漂うのは言うまでもありません。
こうなると、もうやるしかなくなるパターンです。
僕が無言でいる状態にあるのに、三蔵法師の役はもう決定した前提で話が進みはじめました。
まだ、「あがり症」という言葉もしらなかったのですが、内心ものすごく動揺しました。
学芸会当日、大勢の前で劇をすることを想像すると、もう逃げ出したくなりました。
まだ先の話なのに、当日は、仮病を使って休もうと思いました。
しかし、動揺していることを、絶対に人に悟られたくなかったので、平静を装っていました。
それから僕は必死でセリフを暗記しました。
カンペを小さく折りたたんで、読むのはありだったのですが、失敗しないように毎日家で親にもばれないように何度も何度も「シナリオのセリフを読み上げる→シナリオを見ないでセリフを言う」を繰り返しました。
人前で演技をするという場面を想像すると、恐怖に駆られました。
その恐怖によって、それを避けるためにできることといえば、そのときはセリフを暗記するということしかなかったのです。
あがらないという不思議な体験
学芸会までの間、何回も集まって練習をしたのですが、何故かギャラリーがいないせいか練習のときセリフを言うのはそれほど緊張もせずあがることはありませんでした。
自分でも不思議な感じでした。
そして、学芸会の1週間前に、衣装が出来上がり、それを身にまとって練習を始めた時のことです。
なにか自分が別人になったきがして、とても楽しくなりました。
セリフを言うこと、自分が役を演じることに喜びと楽しさを覚えました。
それでも当日のことを思うと、やはり憂鬱でした。
以外な本番での展開
そんな日々を過ごしながら、学芸会当日になってしましい、朝起きた時仮病をつかおうかどうかものすごく迷いましたが、そうしているうちに母親に、早くご飯を食べなさいと言われ、ずるずると朝ごはんを食べてしまったのです。
この段階で仮病を使うのは難しくなりました。
僕は、結局ずるずると家の玄関をあとにして、学校までの道のりへと歩き出したのですが、その道中なにか問題が起きて、学校にいけなくなる事態になることを、祈り続けました。
学校までは歩いて、7分ほどのところでしたが、その7分がものすごく長く感じました。
結局あたりまえですが、何の問題もなく学校に着いてしまいました。
劇が始まるまでの、2h程の間は、準備やら、なにやらで忙しかった気がするのですが、頭が真っ白で、あまり何をしていたのかの記憶がありません。
しかし、劇の前に“三蔵法師“の衣装を着た時不思議な事が起きました。
真っ白だった頭の中が、通常モードにもどって、とても落ち着いてきたのです。
始まって自分の出番が来た時も、殆ど緊張せずに“三蔵法師”の役を演じることができたのです。
衣装をまとって、そのセリフ言うこと、演じることは、強いなにかに守られている感覚がありました。
笑われても平気でいられる、そんな気持ちだったのです。
そのときは、知りませんでしたが、今思うと役を演じることで、普段とは違うペルソナ(人格)が自分の内側に生まれ、それで人前で緊張する自分が消え、笑われても怖くない自分が立ち上がっていた状態になったのだと思います。
これは、あがり症の治療のヒントになることだと今になって思いますが、当時はそれがどのような意味があるかなんて、全くわかりませんでした。
自分の中で一体なにが起こっているのかは全くわかりませんでしたが、人前で演じる自分に快感すら覚えたいたのです。
もし、分かっていたならば、この方法をつかって簡単にあがり症を治療できたかもしれません。
しかし、心理学的な知識もスキルもない小学生4年生の自分に、この体験をうまく活用してあがり症を克服しようだなどという知恵はありませんでした。
そもそも「あがり症」という言葉も認識も自分の中に存在していない時代の話です。