あがり症を治すには、言い訳にをしないこと!

あがり症を治すには、言い訳にしないこと!

それは9月の中旬の、まだ暑い日の夜のことだった。

ゆり子のマンションで夕食をとり、コーヒーを飲みながらまったりしていたときのこと。

ねぇ~私たち終わりにしない!?

あなたとは、道が違う感じがしきていて、、、

と切り出された。

 

見出し予感していた避けられない別れ

予感していた避けられない別れ
ゆり子からいきなり別れを持ち出された。

付き合いはじめてからもう3年にもなっていて、多分彼女の中で、方向を決める段階に来ていたのだと思う。

学生時代の麻友のときと似たセリフが彼女の口から発せられた。

もう30歳だし、なんらかの方向性を出すときだとは、どっかで思っていたけど、それをできない自分がいた。

そして、それが別れを呼び込むということを、僕は心の奥底では分かっていた気がする。

僕は、ただうなずくだけだった。

その日は、何も結論を出さずに彼女のマンションをあとにした。

結論を出さなかったと言っても、もうすでに出ていた。
別れ

あとは、いくつかの手順を踏んでいくだけのことだった。

 

見出し言い訳をしている人生から決別できない自分

言い訳をしている人生から決別できない自分
この別れは、自分がどう生きていくのか?という道を決めなさい!

といメッセージである。

これは、麻友のときも同じであった。

それを決めるまでは、必ずこうなるということは常にしっていた気がする。
別れ
そんなときに、僕は司会をするということを決めていたのだが、その程度の決意ではダメだということなのだとも思った。

それよりももっと大きな方向転換が必要であるということを、彼女は言っているのだ。

「あがり症」が障害になっていて〇〇ができないという人生を歩んでいるうちは、誰かと人生をともに生きるという道が開かれることはないということに確信があった。

何かを理由にして、何かができないというロジックが「あがり症」から抜け出せない要因になっているというのは>>>このプログラム<<<を実践したときに、さらによく分かったのだが。

その時は、まだなんとなく分かっていて、それを具体的にどうすれば良いのかが分かっていなかった。

どの道、人生は続いていくのだし、どこかで真正面からそのことと向き合う日がくるという希望的な思いを持ちながら、僕は彼女との別れを自分の中で、納得させた。

僕の方向転換の時期は、この関係を続けるのに必要なタイミングには間にあわなかった。

「しかし、それができる日は必ず来るはず」と自分に言い聞かせた。

 

見出しもしあがり症じゃなかったら?

もしあがり症じゃなかったら?
あがり症であろうとなかろうと、自分が求めていることに従うという生きかたなんて本当にできるのだろうか?

僕は逆のことを考えていた。

もし、あがり症でなかったら、そこそこの会社に就職して、その会社で必死に頑張って働いていたであろう。

そして、日々の仕事についていくことに必死で、自分が本質的に求めていることなどには、全く関心が及ぶことなく年月を重ねていくようになっていた気がするのです。

会社の中で、人間関係をできるだけうまくやり、仕事でも人に負けないように頑張って働き成果を出そうと努力し続ける。

そして、少しでも会社からの評価を勝ち取り、昇給、昇進をするよう頑張って、経済的な豊かさを求めることに終始するという生き方になっていた気がするのです。

利益を出すために頑張る、競争の中で自分の評価を他人よりも高めるという無限に続くゲームに没頭する。

そうなったら、もう自分の本質なんて忘れてしまうのではないか、、、、

会社とは、戦って勝ち残ったものだけが、評価されるわけだし、、、、、

負ければ、価値を生み出さないコストとしてしか扱われないという世界なわけで、そんな世界へいくことは僕の望みではなかった。

あがり症であることで、正しい道に進んでいるのではないかという、おぼろげではありますが、プラスの面を僕は見いだし初めていました。

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