以前の日記で弁論大会の日に体調を崩して、学校を休でしまったという話をしました。
私はこの出来事によって、自分が完全に「あがり症」であることを自覚し、その思いがズシッと自分の中に重くのしかかるようになりました。
違う言い方をすると、「あがる」という、多くの人間に起こる一現象を病気と捉え、その病気を持っている人間であるという「定義」を自分に付けたのです。
もしかしたらこの「定義」をもっと違うものにできたかもしれません。
それは、いわいる個性であるというように、、、、、
あがり症である自分というセルフイメージの形成
理想は「あがり症なんて、自分の個性だからむしろ魅力ですらある」と考えることですが、実際にはそんなことは無理でしょう。
なぜかって、周りの人間がそんな見方をしてくれないからです。
セルフイメージは、周りの期待によって大きく変わります。
例えば、ふっと冗談を言ったときにそれが、周りのみんなを爆笑の渦に巻き込んだとします。
そうすると、周りの人たちから、こいつは笑わせて楽しませてくれるという期待を持たれるようになります。
そうなると、人はそれに応えようとします。
そのため、意識を集中して、周りを笑わせるネタを常に探す習慣ができて、その能力が高まります。
みんなを笑わせる人気者になっている人はもともと笑いをとるセンスがあるのと、この期待がさらにその才能に磨きをかけ続けていくというサイクルが回るのです。
これは、笑わせるということだけではなく、勉強ができる人、スポーツがきる人、行動力がある人、分析力がある人、などあらゆることに共通した法則であると思います。
そして、「あがり症」も同じなわけです。
あいつは、人前で話すと、あがってパニックに陥るヤツだ。
といったん思われてしまうと、その存在に引き寄せられてしまうと思うのです。
だから、あがるという体験を重ねるたびに、「自分はあがり症である」という自己概念を強化して、その自己概念が実際の周りの評価以上の存在にドンドン巨大化しモンスターのように、自分を振り回す手のつけられない存在になっていったというのが私のケースです。
それと同時にあがり症である自分を極端に恥ずかしいとも思っていました。
ですので、あがり症だと思われることは、ひたすらさとられないように努めてきました。
しかし、人前で話をする場面になることが避けられないこともあるので、そうなったら即バレなのですが、、、、、
あがり症になる要素を考えてみる
あがり症の原因になる要素を考えてみると、次のようなものが思い浮かびます。
- 「失敗に対する不安」
- 責任感を強く感じる」
- 他者への意識」
- 自意識過剰グセ
- 自分よく見せたい
- 逃避したい
- 性格 不安が強い、心配性、完璧主義、神経症
- 遺伝
- 家庭環境、恥をかくことを嫌う親
などがあるでしょう。
これらの1つ1つを見ていったら、あがり症は簡単に改善されるかもしれない。
失敗に対する不安がなくなったら、責任なんてないと気楽に構えたら、自分が人からどう思われているかなんて全く無頓着になったら、かなり楽になると思うし。
だって、何をいっているか分からないような発言でもぜんぜん自分のなかでそれを、赦せているのなら、どんだけ楽だろうか。
あがった自分は人として全く価値がない存在だと思っていたし。
バレたら一巻の終わりだとも思っていた。
あがることへの強烈な拒絶が自分のなかにあった。
なにかキッカケがあれば「あがり症」なんて、それ自体が問題でなくなるのかもしれない。
それは、「あがり症克服の鍵」だとも思うけど、言うほど簡単じゃないんだよね。