あがり症は話し方教室で克服できるのでしょうか。
全国に沢山ある話し方教室は、結構な値段しますが、本当にあがり症を克服できるなら、そのお金に相当する価値は十分にあると思います。
今時点から死ぬまでの間に、人前で話をするという機会はたくさんあります。
その中では入社の面接や、仕事上重要な面接、大きな結果につながる可能性のあるプレゼンなどの、人生の岐路になる場面があります。
ここで成功するか失敗するかで、今後の人生に大きな影響が生まれる場面です。
あがり症のままだと、これら全ての場面で失敗に終わる可能性は極めて高いと言えるでしょう。
人生の重要なチャンスを逃さないためなら、話し方教室の料金なんて安いと思います。
あがったときに起こる現象が成長してしまう
悟史の場合、があがったときに起こる現象は次のようなものになります。
- 頭が真っ白になる
- 手が震える
- 脚が震える
- 肩・背中に力が入る
- 自分の身体が違う場所にあるように感じる
- 顔が硬直する
- 体中の筋肉が嫌な電流を流されているような感じがする
- 喉がカラカラになる
- 声が震える
こんな感じ。
基本、人前で話すとなってしまう。
数人の前で話すだけで、そうなるし、普通に会話しているときはなんともないんだけど、たとえ少人数でも自分に注目が集まって喋る状態になると、とたんに「あがり症」スイッチが入ってしまう。
そして、ギャラリーが多ければ大きいほどその強度は高くなる。
中学の時の弁論大会なんて、最悪だった。
大会の1週間前から、そのことを考えると、緊張が続き、夜眠れなくなり、体調を崩しました。
その時は、当日本当に具合が悪くなり、学校を休みました。
当日の朝起きたときに、本当に胃の調子がわるく体全体がぐったりとしていて、とても動ける状態ではなかったのです。
そのとき、身体はしんどい状態の中、心からラッキーだと思いました。
この最悪の事態をさけられるという安堵感もありました。
それと同時に、ものすごく強い罪悪感と情けなさを感じました。
自分が弁論大会から逃げたというダメな自分を心から責めました。
その出来事は、「あがり症」であるダメな自分という自己認識を強烈に自分の心に刻み込んだ出来事になってしまった気がします。
私の場合「あがり症」は、その事実を事実として確定しながら、どんどん成長させて強固なものにしてきた気がするのです。
自分は「あがり症」だということを確認する度に、その自己概念をどんどん強化し、より拡大していく道を歩いてきたと言えるのです。
小学校の頃は、まだ中学のときと比べると、ぜんぜん楽でした。
「あがり症」という言葉もしらなかったし。
自分は緊張しやすいんだという程度の認識だったのです。
あがり症は話し方教室で克服できる?
あがり症は話し方教室みたいなところで克服できている人はどれだけいるんだろうか?
僕が通っていた教室では、実際に段々と良くなっていく人がいたのは確かなんだけど、その人たちと自分とは根本的になにかが違う気がするのです。
その違いはなにかというと、それは正確には分からないのですが、深層心理面でのプログラムが違う気がするのです。
話し方教室で、あがり症が改善されていくタイプの人は、話をするといスキルの面で何らかの問題があり、その部分で実際の失敗体験を重ねたためにあがり症になってしまったタイプが多いのだと思うのです。
逆に話し方教室で結果が出ないタイプの人は、話し方というスキルではなく、話をするという機会で失敗をしてしまい、その失敗から自分の存在自体に価値がないと感じてしまい、その価値がないという自己概念がどんどん成長したための、「話をする場面→自分は価値がない」、「自分は価値がない→話をする場面」というプログラムが自分の脳内に出来上がってしまったタイプ。
図にすると次のようになります。
つまり、自分の話すスキルが欠乏していることに対して恐怖が生まれるプログラムを持っている人は、話し方教室であがり症は克服できるかもしれないですが、自分の存在に価値がないというプログラムであがり症になっている人の場合は、話し方教室でいくら場数を踏んでも全く改善せず、むしろひどくなることもあり得ると考えるのです。
悟史は明らかに後者でした。
話し方教室へ通ったのですが、全く成果はあがらずむしろ悪化しました。