僕は、地獄の様な中学生時代を終えて、地元の公立高校に入った。
成績は良い方だったのですが、当時は大学に行く気がなかったので、商業高校を選んだ。
よく入試であがって失敗したという人がいますが、僕の場合入試で人前に出るわけではないので、あがるということは全くなかった。
あと、腹式深呼吸などを会得していたので、何かに集中するときは、呼吸法を使ってうまく乗り切ることができていました。
無難にやり過ごした高校時代
高校に入っても僕の中での最大の不安は、相変わらず人前で話すという場面に遭遇することでした。
それが、どの先生も授業中に当てるということをほとんどしない状況だった。
中学生のときは、毎日必死で予習していたのだが、その必要ななくなった。
その高校は商業高校だったで、みんな必死で勉強するという感じではなく、のんびりしていてみんないい意味でおおらかで、言い方によってはとてもいい加減であった。
中学生のときと違って、失敗してもそれを嘲笑するような人はほとんどいなくて、逆に面白がられたりもしました。
失敗してもそれも個性の内というおおらかな雰囲気があったのです。
高校生活はわりと平穏に過ぎていった。
友達と遊んでいてカラオケに行こうなんて話になると、その時は全部断った。
あがり症なのを気づいている友達もいたと思うが、ま~それはそれで良かった。
部活にも入らなかった。
学校ではなく、空手を始め道場に通っていたのだ。
学校の行事はできるだけ参加しないようにうまくやってきた。
僕は、常に目立たないように振る舞った。
それなりに適当に周りとの付き合いをしながら、誰かと深く関わることもなく、できるだけおとなしくするような毎日を送っていた。
学校での話し相手はいたが、仲の良い友達というのはいなかったとも思う。
表面的には普通の高校生だけど、誰とも関わりあいたくなかった。
それは、あがり症であることに対して、自分の可能性とか価値が根本的なところで、何もないように思えていたかのが、今振り返るとその原因だったと言う気がします。
結局なにかをしようとすると、「あがり症」が邪魔をして、その行く先を遮られてしまう。
そんな思いが強くあったのです。
その自分が人と積極的に関わるというのは、しんどかった。
価値のない自分と関わる人に申し訳ない。
その思いはずーっと持ち続けることになる。
ただ、空手の道場には、4回/週程通っていた。
なんか、その鬱憤みたいなものを、格闘技を通してぶつけたという衝動があったのだと思う。
スパーリングの時の心地良い緊張感がとても快感だった。
下手をすれば蹴りを顔に食らって、けがをするかもしれないという緊張感は、普段では味わえないものだった。
この時期は、「あがり症」という問題が表面的にはもんだにならず、裏に隠れてくすぶっていたという状態だった。
あがり症を克服するセミナー
そんなとき、何かの雑誌に出ていた、「あがり症克服セミナー」というのがあり、とても興味をひかれた。
よく読んでみると、少人数で1つのクラスを形成して、その中でスピーチの練習をするという内容らしい。
ただ、値段を見ると4万もしたし、場所は東京だったので、地方にいる僕にはセミナー代にプラスして複数回の交通費がかかるので、お金のない高校生には到底無理だった。
ずーっと未来にはいくつかのセミナーには参加することになり、その内の一人は児島先生という人で自宅でもできる>>このような>>あがり症改善プログラム<<も提供している先生でした。
あがり症を克服するセミナーというのは、後々になって分かりましたが、たくさんの主催者がおり、多くのコースがあります。
この手のセミナーで結果が出る人は、話をするスキル要因によってあがるタイプの人には有効に機能し、一定の成果を上げることができると思います。
しかし、スキルではなく、自分の存在自体に自信を失い、価値がないと思っていることによってあがるタイプの人にはあまり効果があがらないでしょう。
僕の場合は、明らかに後者でした。
そして、中には後者のタイプを考慮したセミナーもあるようですが、多くの場合そうではなく、あくまで話をする体験を重ねてなれていくというスタンスのところが多いのが実態です。
人前で話す体験を重ねていけば、自ずとなれてゆき、自信も付いて、それに伴ってさらにあがらなくなる流れで、あがり症を克服していくというものです。
行動するという点だけを見ると、心理学の森田療法に似ています。
高校生当時の僕は、そんなことも知らず高額なセミナーに行くことであがり症が解消できるのではないか!?という夢を抱き、いつか必ず行こうと決めていました。
この点で後々になって学だ>>あがり症改善プログラム<<は、話すスキル面と、自分に自信のなさの両面に対してアプローチする方法が学べるものになっていることが、今になってよく分かります。