人前に出ているのにあがらない場面というのはあって、それは体育祭でした。
体育祭といえば、かなり大勢のギャラリーがいて、そこは、生徒だけではなく普段ギャラリーにはなりえない親たちもいるわけだけど、体育祭はリレーでも玉入れ綱引きでもそれほどあがりませんでした。
とくにリレーなんかは一人に目が多い種目だけど、緊張はするけどあがってどうしようもなくなるような状態までにはなりませんでした。
逆にいうと運動会であがってしまうようだと、重症かもしれない。
体と心理状態の関係
心の状態と、身体の動きは密接に関係しているので、運動会は、その身体の動きが「あがり症」の状態になることができない動きをするので、あがりづらいのかもしれない。
NLPを学ぶとよく分かるのですが、体をすぼめて肩を落として陰鬱な表情をした状態で、楽しいことを想像するのはとても困難である。
逆にスキップをしながら、辛くて苦しいことに思いを馳せることも非常に困難です。
心理の状態と体の形表情、動きはセットになっていることがほとんどなので、走っている状態であがるというのは逆に難しいと言えます。
過去にあがってしまったときの体の動き、姿勢、表情を再現すると、容易にあがることができます。
ただし、体育の授業で、走っているときに転んでみんなから笑われてとても恥ずかしい思いをした場合などは、走るという行為があがる状態につながるケースもあり得るかもしれませんが、それは可能性としては極めて小さいものだと思います。
あがるというよりも、周りに人がいるときに走ることに対して強い抵抗が生まれるなどの反応がのちのち出る可能性の方が高いでしょう。
やはり、走るという体の動きはあがりとは連動しない気がするのです。
一人でやるか複数人でやるか?
一人でやるのか、複数人でやるのかにも関係があります。
やったことがないですが、サッカーのペナルティーキックなんかは、緊張しそうです。
しかし、あがるという感覚とはちょっと違って、緊張と失敗することへ恐怖がそこにはありそうです。
私の場合、ただ、走ったり飛んだりするのと、大勢でやるのはあがらない。
合唱みたいに大勢で歌うは大丈夫で、ミスっても気づかれないのでお気楽にできるのです。
そして、そのころ母が言っていたのを思い出すのです。
緊張して固くなる自分を治そうと頑張る必要はないのよ。
と
あがり、緊張することを消そうと躍起になるから、さらにあがるというのは、今ならよく分かるのだが、小学生の僕には、その意味わかりませんでした。