あがり症を治すには自己価値・自己認識を変える

あがり症を治すには自己価値・自己認識を変える

僕は話し方教室のアドバンスコースで、全く成果が出せなかった自分にはらがたちました。

基礎コースからはじめて半年という時間と10万円という額のお金を要したにもかかわらず、「あがり症」という魔物から、僕は抜け出すことができなかったのです。

なぜだろう?

自分の人生はあがり症との格闘の歴史になってしまっているという事実。

自分が体験したいこと、理想、望みを追いかけるなどという発想はなく、ただただあがり症という得体のしれない僕にのしかかるとてつもない魔物に振り回され続ける人生。

これだけいろいろと頑張ってきたのに、、、、

神は僕に微笑むことはありませんでした。

 

見出しあがり症から抜け出せないのはなぜ

あがり症から抜け出せないのはなぜ
自分のなにがいけないのだろう?

その当時付き合っていた、ゆり子(仮名)にもその気持を打ち明けました。

彼女が言うのは、、、

  • きっと、意味があるんだよー
  • その体験ができて良かったなーと思いえる日が必ずくんだよー

うーむ、、、、

そうかもしれないけど、数えてみるとあがり症になってもう21年にもなる。

もういいのではないか、、、、

 

見出し神が僕に意地悪をしている気さえしてきた

神が僕に意地悪をしている気さえしてきた
僕は、巨大で意地悪な神がいて、その神が僕を教育するためにあがり症という難題の渦に僕を放り込み、その渦から抜け出すすべを身に着けたと認定するまで、その地獄のような渦からは決して出さないというような、スパルタ教育を受けているような気分でした。

その当時、バイト先のマネージャーから正社員にならないか?とのオファーを受けていた。

しかし、僕は迷っていた。

正社員ということは、今の仕事の責任範囲が何倍にもなり、事務作業は減り、その分指示や説明、状況判断という仕事がメインになる。

それはすなわち人前で話すことが日常的な状況になるということを意味する。

1年前の自分と比較したら、あがりの症状は軽くなっているとは言え、正社員としてやっていく自信がなかった。

しかし、仕事柄人間心理の認識・知識が深い人たちが多く、あがり症に対して理解があるという良い面もあった。

このことは、以前の職場と比較して決定的に有利な点であるのは間違いない。

ゆり子に話たら、

  • それでもしうまくできなかったら、やめればいい。
  • 悟史は真面目過ぎなんだよ!
  • もっと物事を気楽にとらえるとさらによくなるよ!
  • さらに、あがり症なんて、自分の個性だし、その自分として堂々と生きていくという気持ちでいくこと、そこに答えが生まれるじゃないかな~

 

ということを言ってくれた。

僕は曖昧にうなずくだけだった。

 

見出しあがり症は欠点でしかない

あがり症は欠点でしかない
ゆり子の言いたいことは分かるけど、実際にそんなふうには思えなかった。

そして、学生時代に付き合っていた麻友も同じ様なことお言っていたのを思い出す。

しかし、どう考えても僕にとって「あがり症」は個性ではなく、致命的な欠点でしかなかった。

あがっている自分の姿を想像したときに、それを受け入れてくれる人が、この世の中に1人としていない気がしていた。

この考えかたがあがり症を生みだしているということを、後から手にすることになる>>>このプログラム<<<で理解することになるのだが、その時はどうしてもゆり子の言葉を受け容れることができなかった。

あがり症である自分を周りから嘲笑されても、自分はその自分のことを価値がある存在だと純粋に思っている状態。

そうなれば、よいのだ、、、、

 

見出し自己価値・自己認識を変える

自己価値・自己認識を変える
他者評価がどんなものであっても、自分で自分の価値を絶対的に認めるということができれば、それだけで大成功の域であるということは、今ならよく分かるのです。

  1. 他者評価>自己価値
  2. 他者評価=自己価値
  3. 他者評価<自己価値

たまにいる勘違い男、勘違い女を除くと、多くの人は(1)に該当していて、他者評価よりも自己価値が低い。

自己価値を低めることを理由付ける方法は、無数に存在するので簡単である。

人と比較して、劣っていると判断できることを理由にすることで、成立してしまう。

目鼻立ちがはっきりとしていてきれいな顔立ちをしていても、自分のこすぎる顔がコンプレックスだという人はたくさん存在している。

英語でTOEIC900点の人が、ネイティブと比較して表現力不足で自分は本当に情けないと言っている人もいる。

高校生時代、自転車のインターハイで3位入賞だったことで、優勝できなかった自分を責めている人もいる。

普通に考えたら、すごいのに本人たちはマイナスにとらえ、それによって自分は価値がないと思っているという現象は世界中で起こっている。

自分の価値を自分で下げる理由が無数に存在するというのは、脳のフレキシビリティのたまものであとも言えます。

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