合コンがあった、3日後に幹事だった友人と学校たまたますれ違ったので、食堂でとりあえず合コンの話をするべく学食へ向かった。
そいつは、だれが良かったと聞くので、Mちゃんかな~
と答えると、へぇ~おまえあ~ゆ~のが好みなんだ~
じゃさーさーメアドを聞いてあげるよ。
まぁー教えてくれればだけど。
僕はほとんど諦めていた、、、、
彼女からもらったメッセージ
合コンのときに、麻友ちゃんと言葉を交わしたのはたった一言二言だけだった。
さらに、2軒目のカラオケでの僕はといえば酔っ払った挙動不審の男だった。
なので、彼女とは全く目がないと思っていた。
友人がメアドを聞き出してくれると言ってくれてから2日後の夜、学校から家に帰る途中、その友人からメールが入った。
麻友ちゃんのメアドゲットだよ!
XXXXXXX@@docomo.ne.jp
というメッセージ!
おおお!
思わず電車の中で声を上げてしまった(笑)
僕はすぐにメールをしたら、今度会おうというとになった。
やった-!
彼女とは同じ京王線に住んでいて、アクセスも良かった。
合コンの時全然話をしていなかったのに、なぜか気になっていたという。
カラオケの時は変だったのもきになったらしい。
自分があがり症だということも、しばらくしてから打ち明けた。
しょっちゅうあっていて、いろいろなところに遊びに行ったしとにかく楽しい日々が続いた。
彼女は表面的なところより、僕の深いところを見る娘だった。
自分があがり症であることで、今後ごいろいろなことができないと思うという話を僕は正直にしていた。
そんな僕に言う、彼女の口癖は。
「あがり症」なんて個性の1つでしかないよー
それが悟史なんだよ~
そのままでいいんだよ~
でした。
僕はそんな考え方をしたことがなかった。
今まであがって、何を言っているのか分からなくなったときに、あざけるように笑われたたくさんの記憶、、、
そのときの、死ぬほど恥ずかしくて、穴があったら入りたかったその気持、、、、
そのときどきに、僕をバカにした薄ら笑いの表情たち、、、、
それらが僕の頭をよぎる。
「あがり症」が個性で、そのままで良いなんてことはありえない、、、
僕はそんな彼女の言葉に対して、怒りさえ覚えた、、、、
言葉にはしなかったけど、「バカなこと言ってるんじゃねぇ!どれだけ、今まで人からバカにされてきたと思ってるんだ!」というセリフが僕の頭の中を何度も何度も繰り返し鳴り続けた。
言いたいことは分かるけど、、、
彼なんとなく予想していた別れ
そして、8カ月後には別れが訪れた。
ここ2~3カ月の間、なんとなくその予感はあった。
それは、2月初旬のとても寒い日の夜のことだった。
麻友から、もう逢うのやめよう!
悟史とは道が違うんだと思うんだ、、、、
全く違う道を歩いている感じがずっとしてて、、、
そう思わない?
情けないけど、そう言われて、僕は何も言い返せなかった。
それはきっと「あがり症」である自分の未来をうじうじと悩んでいる僕に対する、思いやりだった気がする。
僕は、あがり症である自分に、価値があるとは到底思えなかったし、それを彼女はずーっと価値があるよと言い続けて来てくれた。
僕は、そのたびに曖昧にうなずき、心の中では、怒りの言葉が頭のなかで何度も何度も鳴り響いていた。
深い心理からくる拒絶
あがり症である自分は十分価値があるということを認めただけで、この別れは訪れなかったということが、今なら分かるのですが、当時の僕にはあまりにも難しい考え方だった。
いままで一度もあがり症であることを肯定的にとらえてもらった経験がなかったのが、逆にそれで良いと言われても、とても受け入れ難かったのです。
なぜ自分に価値がないという考え方から離れることができないのだろうか?
この人間の心理は一体どういうメカニズムになっているのだろうか?
「あがり症」を治すには自分の深い深層心理を見ていかないと、ダメだと思った。
自己価値についても語られている>>このプログラム<<で、その意味を後々になって分かるのですが、当時の僕にはまだほど遠い世界だった。
僕は、それ以降もあがり症の自分は価値がないという考え方に、固執し続けました。
彼女の「そのままで良い」という言葉を受け入れられるようになったのは、相当年月がたってからになりました。
この部分になると、スピーチトレーニングとか、話し方教室などでは到底手の届かない心理領域になると、思わされた体験でした。