高校時代はある意味、休息期間だった気がする。
「あがり症」という自分にとっての怪物と対峙することなく、避けて過ごすことが出来ていた期間だと思うのです。
ところどころでどうしても人前で話さなければならない場面はあったものの、それはなんとか乗り切り、あとは全て避けて通った。
それでも、そのときは問題なかった。
なんか、このままずっと平和にときが過ぎれば良いと思っていたのと同時に、心の奥底では色々なことを避けていて、自分から逃げている自分がいることを強く感じていました。
近い未来で逃げることができなくなるときが確実に来る、というのも分かっていました、、、、、
スピーチトレーニングに関心が向き始めた
安心な状態のなかでも本当の意味では安心なんか全くしていないという微妙な気持ちのかなで過ごす高校生活。
戦争に行く前に、ゆっくり休む期間をもらってみたいな気分で過ごしていた気がするのです。
大げさかもしれないけど、、、、
その頃、将来の展望なんて考えてなかったし、考えたくなかった。
それを考えると、必ず「あがり症」という問題と直面しなければならないので、それを避けたかったから考えたくなかった。
しかし、どこかで人前でプレゼンすることをやりたかった。
本質的には目立ちたい性分なのだと思う。
そんななか、何とげなしに買った本は。
あいさつ・スピーチ実例事典―すぐに使える応用自在 (ホームパルブックス)
この本は、聞き手の心に残るスピーチの組み立て方や、原稿の書き方、それをうまく話すテクニック・コツなどについて書かれていました。
ニュースキャスターの“草野仁”という人が書いた本。
なんか、「自分の中で感情が動いたエピソードを話に入れると、より相手の心に残りやすい」みたいなことが書いてあって、それが印象に残っている。
自分の痛みや感動の実体験を人前にさらすという行為。
それは、たしかに、相手の心に残りやすいかもしれない。
そんなことを、のんきに思っていた。
そして、このことは後々とても重要なヒントなっていくのですが。
あがり症をトレーニングで改善するという考え方で取り組んでいくことを考えると、この自分の感情が動く体験を人前で話すのは、どこかでつながる気がする。
どれだけ、自分の感情を乗せて、話せるか?
という部分が、結局は「あがる」という自分の体験そのものを、感情を乗せて語れば、自分の眼の前に立ちはだかるあがり症という大きくて分厚い壁を乗り越えることができる気がしていたのです。
その観点では、場数を踏むスタンスでやる、スピーチトレーニングという方法は正しいと思う。