僕のあがり症の歴史の中で、なんやかんやと一番きつかったのは中学生時代でした。
小学生と違い中学生になると、人前でなんらかの失敗をした際のわき起こる「恥ずかしさ」が格段に大きなものになりました。
とくに、クラスに好きな女の子がいて、その子に自分の醜態をさらすことは、もう死ぬほど恥ずかしかったのです。
それと、自分があがり症であるということを打ち明けられる人もいなかったし、自分と同じような存在がいるということも知らなくて、世界で自分一人だけがあがり症だと思っていました。
それによって、完全なる孤独に陥っていたのです。
もう、あがり症という底なし沼へと完全にハマりこみ、どんどん引き込まれていった3年間だったと言えます。
あがり症対策
中学時代は、次の授業でやる範囲を徹底的に予習しました。
教科書を読み込み、それに該当する部分を参考書で学習し、その部分を説明できるように、書き出していたのです。
さらに、その書き出した文書を音読して練習をしていました。
つまりは、大人で言うプレゼン資料を準備していたようなものでした。
苦手な社会科はあまりで手を付けられなかったのですが、それ以外の教科は、徹底的に準備をしていため、授業中に自分の気持に少しだけ余裕が出ました。
あがらないという状態にまではなりませんでしたが、一定の効果はありました。
何か聞かれても、総合的に答えることと、説明ができるという心の状態が生まれたのです。
しかし、これであがらなくなったというには程遠かったが、中学時代の難関である授業中のかなりの部分は乗り越えることができた。
体調を崩したために弁論大会を休んでしまったことへの、心の曇りはまだまだずっしりとあったのですが、、、、
皮肉な話ですが、このおかげで良い状態を保っていました。
塾にも行ったことがありません。
準備をしっかりとして、挑むというのは大切ではあると言えますが、今思うとこのやり方はアドリブがきかないという性質を強化していたことになっていました。
でも、そのときはそれに精一杯取り組むしか手立てはありませんでした。
あがり症と事前準備の効果
後々大人になってから、あがり症改善に関するノウハウでは、事前に準備をして練習をしていくことで、あがることなく、人前で話をできるとうものが多く出回っていることを知りました。
中学時代はいろいろあがり症克服関連の本は読んでいましたが、なぜかこの情報には触れることが内にもかかわらず、偶然にも実践していたのです。
あがる要素は大きく2つに分類されると考えるのですが、それは次になります。
【あがり症を生む2つの要因】
この2つがおあがり症という精神状態生み出してしまう元になると思うのです。
人からどう思われるか不安でも、自分が良い話をできる自信があれば、冷静で安定した精神状態で話ができるし、逆に自信がなくても人にどう思われるかについて全く不安がなく、ギャラリーからさげすむような笑いをされても、あっけらかんとしているような性格なら、これもまた冷静で安定した状態でいることができると考えるのです。
そして、事前準備という取組は前者をつくる、強化する、補強するという効果は十分に見込むことができると思います。
そして、同時に欠点もあります。
事前準備の考え方は>>あがり症改善プログラム<<というノウハウに分かりやすく書かれていました。
もし失敗したら一巻の終わりだという恐怖が、常に背後霊のようにつきまとうという点です。
準備を綿密にすればするほど、どこか漏れはないか?、見落としはないか?と気になりはじめ、キリが無くなります
そして、想定外の展開に対して極端な恐怖を感じるようになってしまう可能性が高い。
今になって思うこと
今になって思うのは、「自分ができるという自信」「人からどう思われるかの不安」の両方のバランスが重要だということです。
自分ができる自信もつように、準備をしたり、プレゼンのスキルを磨いたりすることも重要ですし、人からどう思われても平気だし、自分には常に価値があるというマインドも大切だと思うのです。
人からどう思われても平気なだけだと、自分の言動に何の注意も払わず、人前で話すときも何の準備もせず行き当たりばったりで聞き手にとってつまらない話しかしない人間になるというのは、バランスが良いとは言えません。
逆に僕のように必死に準備に時間をかけ、失敗への不安をかき消そうという姿勢も、想定外の展開になったときに対応もできないし、そもそも準備ができないような場面での対応も無理です。
ですので、これら両方を育てていくことで、あがり症を克服できるというのが、僕の今の結論です。
後々に学んだ>>あがり症改善プログラム<<では、この要素が盛り込まれているので、中学生当時に手にしたかったとつくずく思います。